「ビジネスホテルで聴くベースライン」喫茶茶会記店主筆
20190826


先日ビジネスホテルに泊まったのだが部屋のテレビによる
朝ドラの「なつぞら」のオープニング曲のベースラインが全くでておらず悲しんだ。
四谷の自宅の大そうなテレビでは内臓スピーカーで感動のベースラインがしっかり出ているのに。
ビジネスホテルの業務用テレビの限界である。
とはいえ私もビジネスホテルの経営をしているならば同じテレビを導入するだろう。
大音量を出しても隣客への迷惑になる。

業務用テレビのおかげでむしろ地味な部分の大切性に気づく。
スピッツ並びにベースに心を込めているベースラインに感動する。

とはいえなんか世間に迎合している感もあるので少しこちらにオフセットしてみる。




「故・辛島文雄トリビュートジャズライヴ@高松」喫茶茶会記店主筆
20190824

2014/9/11 辛島文雄ライブ@九州
http://gekkasha.modalbeats.com/?eid=954579

2019/8/22 辛島文雄ライブ@四国

お金がかかるがゆっくりとした車内で一人頭を空っぽにする。


掬月亭の涼



辛島さんは亡くなられたが意思は継がれている。それはミュージシャンのみではない。
店も然りである。かつて辛島さんのライブを主宰された
元茶会記常連で今では高松・「アインシュタインのグァルネリ」オーナー滝川流さんのお嬢様は
自らハイスツールに上がり流れさんと気迫溢れるサウンドを聴き入る。
私のフェイバリットフォト。

20190822 故・辛島文雄トリビュートジャズライヴバンド
池田篤(sax)
板垣光弘(Pf)
小松伸之(Dr)
楠井五月(Ba) 

いつかまた。


「薩摩・筑前琵琶の交感」喫茶茶会記店主 新村康子筆
20180818

先日の会
昼の部が藤高理恵子氏 夜の部が新村康子氏主宰の会
昼の部が筑前琵琶 夜の部が薩摩琵琶。
理恵子氏の会には康子氏が
康子氏の会には理恵子氏がお客様になった。
別段友人ではない
このような流派相互感の空気は格別のものである


右より狂言師小梶直人氏、藤高理恵子氏、新村康子氏、ヴァイオリン奏者の新村隆慶氏






筑前琵琶は腹板が桐で作られており、薩摩琵琶に比べて音が柔らかく三味線の音に似ている。演奏法も三味線音楽のように歌いながら演奏する作品が多い。明治から昭和にかけて薩摩琵琶と共に人気を博した。
一方、薩摩琵琶は桑や欅の木で作られており、武士の士気を高めるために使われていたことから大きな撥で力強く弾き語るのが特徴。硬い木が使用されているため、撥を叩きつける奏法が可能である。語りの合間に演奏する作品が多い。


新村康子
「ジャズ喫茶の変遷と揺るぎないバップの精神性」喫茶茶会記店主筆
20190818

先日ジャズレコードの演奏会を様々な場所で主宰されている小倉さんがお越しになった。
私も近年参加したこともある。
お持ちになられたレジュメも透徹とした
バップ主体(こういう物言い自体がマニアックなのだが 謝)の内容である。
昔のジャズ喫茶はバップ主体であった。今ではなにをやっても自由になっている。
2007年に喫茶茶会記が始まったころもまだジャズ喫茶はバップ主体であった。
ネットでは2chで匿名でジャズ喫茶スレッドもあり叩かれた店も多数
無論茶会記もそうである。
茶会記は初めから非ジャズ的な内容を「これがジャズだ」とか言って始めたのだけど
当方はなにを言われようがジャズの精神性を失っていないと勝手に思っている。

2011年震災後、慈愛の心というか世の中はジャズ喫茶にも寛容になっていった。
今ではクラシックをかけたり、昭和モダン歌謡とかも流れている店もある。
なんでもあり、なんでも許されるような世の中だ。
そのような中一貫してバップを発信し続ける小倉さんが立ち寄ってくださることは
ジャズマニアの店であるという存在意義の実証という面も含めとても嬉しい。


photo by Hikki
「米澤一平主宰 In the Zone の現時点でのBest Impression」喫茶茶会記店主筆
20190815


現時点で39回目を達成した各会ゲストを迎えるIn the Zone。
15回以上ご覧になっていて、かつ私と懇意にさせていただいている5人から
印象に残ったイベントを3つ上げていただいた。
「印象に残ったイベント」とは漠然とした評価基準である。
10人上げてもらうと全然違う評価結果になると思うし
藝術性、技術性、完成度、将来性、偶発性、部屋とのマッチング
時期とのマッチング他様々な見方、尺度がある。
それでもはじめてその会を観たときのような驚き、経験値を取っ払って
感じた雰囲気も一つの味的尺度なのだと考えている。
真剣に考えてくださった内容に感謝している。
錚々たる39人は基本感動レベルをクリアしており
その中から選ぶのは至難の業である。


計15票の内訳は以下になる(3人以上選定の場合3位に0.5とした)

票3 谷口界

票2 まえがみ(前田菜々美)

票1.5
阿部真理亜‎

票1
穴山香菜
川村美紀子
木皮 成
南雲麻衣
ハラサオリ
早瀬マミ
水越朋
目黒 陽介


ソーシャルなところでも闘っている髪で顔がわからないアーティスト
まえがみさんのみが2票になったのがアートマインド的に嬉しくもあるが複雑な思いもある。
壮麗な茶会記に近しいコンテンポラリーダンサー陣から一人でも食い込んでもらえればなと思った。
谷口界氏の会は圧巻でありイベントではなくかけがえのない藝術を感じさせる。
そしてその相手と場が米澤一平氏のIn the Zoneになる。


photo by bozzo

Next In the zone

「孤高者の関所 vol.2」喫茶茶会記店主筆
20190812

孤高者とは演者のみならず受容者のこともいう。
聴き手でも人生を懸ける局面があるというものだ。

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先日行われた今年亡くなられたフリッツ・ノボトニー特集

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2019/8/10(sat)bummey records presents 「Remember Fritz Novotny」

Remember Fritz Novotny
http://gekkasha.modalbeats.com/?eid=956262





2009 ジョーマネリ追悼特集

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「孤高者の関所」
20090921

http://gekkasha.jugem.jp/?eid=898946



「名演・かもめんたる・反省するということ2016」喫茶茶会記店主筆
20190807

何度見ても飽きない動画。



「始めの音一発、視覚一発で腰砕けになるような体験の質量を訴求する」喫茶茶会記店主筆
20190805

昨今情報が多すぎて、かつSNSといった責任主体性が薄いメディアに世の中が順応しすぎていて
藝術受容における発信者、受容者共に真剣にその感動体験を共有するようなカタルシスが乏しいと思える。
事大的な話題ばかりに終始していて藝術作品の美の根本に迫らないものばかりだ。
全人生を懸けている作品と対峙したい。先のような前時代的なことを言うとますます客が少なくなるのだけど
なんだか時代を反映しているのだろうけでも「演出的」なものばかりが話題になる。
そのような「話題」に関わる必要は個人的にはない。




「打ち破る粗粒子〜My Favorite things」(福地筆)
20140502
http://gekkasha.modalbeats.com/?day=20140502
「夏の仕込み作業・米澤一平・水越朋」喫茶茶会記店主筆
20190804

夏の風合い






2019.08.04.sun
『4次元』的波長

◾️出演
米澤一平tapdance
水越朋dance

□時間
19:30start/19:00open

□料金
予約/当日 ¥2,000 1drink付
「実体に近づくシナスタジアの一例〜音のポートフォリオ from Audiosharing.com/blog 」喫茶茶会記筆
20190731

月一度開催しているAudiosharing主宰宮崎氏の文章
オーディオ的アプローチから藝術の根幹に迫る。
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http://audiosharing.com/blog/?p=29543

「音による自画像」(その8)
マリア・カラスによる「清らかな女神よ」(Casta Diva, カスタ・ディーヴァ)が、
マリア・カラスの自画像そのものだ、ということにはっきりと気づいたのには、
ひとつのきっかけがある。

5月のaudio wednesdayで、“Over The Rainbow”を聴いた。
ジュディ・ガーランドの“Over The Rainbow”を筆頭に、いくつかの“Over The Rainbow”を聴いた。

“JUDY AT CARNEGIE HALL”での、“Over The Rainbow”は見事だった。
この晩、何度かけたことか。
最初にかけた。
それからアンプがあたたまってきた、といって、またかけた。

音が良くなってきたな、と感じたら、かけた。
最後に、またかけた。

いくつか聴いた“Over The Rainbow”のなかに、手嶌葵が歌う“Over The Rainbow”もあった。
手嶌葵の“Over The Rainbow”を聴いて、
“JUDY AT CARNEGIE HALL”でのジュディ・ガーランドによる“Over The Rainbow”のすごみを、
いっそう感じた。

手嶌葵のCDを持ってきたHさんは、これかける、やめましょう、といわれていたのを、
少々無理矢理かけた。

Hさんが、やめましょう、といった理由も、聴けばわかる。

表現という、表現力という。
これらのことばは、安易に使われがちのようにも感じることが多くなった。

手嶌葵の“Over The Rainbow”は、
手嶌葵なりの表現である──、
手嶌葵のファンからそういわれれば、そうですね、というしかないが、
それでは手嶌葵なりの表現とは何ですか──、
もしそんなふうにいってくる人がいたら、そう聞き返したくなる。

その晩は、ジュディ・ガーランドのカーネギーホールでの“Over The Rainbow”に圧倒された。
圧倒されたから、その時には気づかなかったが、
ここでの“Over The Rainbow”も、ジュディ・ガーランドの自画像そのものである。



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