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「言葉の装填について」喫茶茶会記店主筆
20151117

速射砲の如き記号の羅列で人を本当に感動させることができるのか
とふと考える。
概ね、現在であれば自我の表出に終始していて人の心に響くようなことはない例が多いと思う。
例えばわたくし筆者もこのように記号を鉄砲玉のように一字一字撃っている
すこしでも自分の話を他者に伝えて同意を得られたい一心で
撃っている。その同意が、もしとても善的ななにかと結び付けば素晴しいことであり
その伝播によって「影響力」が発生し、自己実現に向かうことができる。
政治の場では法廷の場では現代版の闘争であるのでそのようなことは言ってられない
のが自明である。
とはいえ大昔は伝達上の鉄砲玉がなかった。かつある意味ニュアンス勝負の時代。
現代人には様々な伝達方法があるのだから、記号一辺倒であるのもつまらない

たまには「ニュアンス伝達」もいいだろう。

自己の所作や言説をフィールドレコーディングされていると思えばよいと思う。
社交場にいる沢山の人がそこに気づかないように思える。わたしもそうだ。

神秘的な国である日本の歴史的本質は平和で謎めいている風合。
そんな様相をトレースしてみるのも一興なのかもしれない。
本音爆音トークとその知性的自虐は結構近代的に過ぎたりもするのである。


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