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北里義之 4/29 佐渡島明浩・円池志穂子「有元利夫によせて」〜バロック音楽の調べとオイリュトミー


すでに三年前になりますが、2013年12月21日(土)、佐渡島明浩さんは円池志穂子さんやピアノの照内央晴さんと、やはりこの喫茶茶会記で初めての自主公演「サティとオイリュトミーの夕べ」を開催されています。新たにフルートの奥夕美子さんを招き、夭折の画家・有元利夫[1946-1985]の生涯を、画家が愛したクープラン、パーセル、シェドヴィル、テレマン、ヘンデル、バッハなどのバロック音楽とともにたどる今回の公演も、前回と同様のスタイルをとり、バロック音楽をオイリュトミーで踊る場面と、画家が残した日記や、やはり画家/陶芸家であった妻の容子さんが書いた回想記などを朗読するだけでなく、若き画家を演じる芝居的要素を入れたり、カジュアルな服でデュエットを踊るなどして場面構成する作品になっていました。ふたりの画家の愛情と芸術が、オイリュトミー服を着たソロのダンスと日常的な服を着たデュエットの場面で踊りわけられたように思います。

オイリュトミーを踊る作品すべてがそうであるかどうかはわからないのですが、独特の振付法やシュタイナーの神秘思想を別にすると、ダンスする身体と作品の関係において、オイリュトミー公演というのは、モダンダンスの領域にあるのではないかと思いました。「オイリュトミーでなくてはできないことがある」という佐渡島さんの言葉から、たしかに本作品が通常のモダンで踊られたとしたら、画家の精神性はこのように表現できなかっただろうと思います。きっともっとベタベタとしたものになったでしょう。佐渡島さんがプログラムに書かれた言葉。「彼の日記に描かれている花びらがいつまでも落ちてこないように、彼の想いは今も宙に浮かび、漂っているようです。[有元利夫と容子]二人の想いは、同じ風に吹かれている。そしてどこか、確かに存在するけれども、感じることの出来ない場所で出会っている。」この魂のありように対する畏敬の念は、シュタイナーの神秘性に通じているはずです。それでもなお、身体以前に内容が想定され、(言語・音響の別なく)テクストがあるという点では、モダンな表現図式のなかにあると思います。

いつもはフリーインプロヴィゼーションというよりフリージャズに近い演奏をされている照内央晴さんが、エリック・サティに引き続き、バロック音楽に挑戦するのにも注目されました。前者の即興には、バロック・ヴァイオリンを演奏するバリー・ガイ夫人マヤ・ホンバーガーさんなどの例があり、伝統的な演奏と前衛との間に感性の共通基盤を想定できるように思うのですが、照内さんの場合、どのようなことが彼の内面で起こっているのでしょう。また形式性が優位に立つことはあるにしても、オイリュトミーを踊る身体が、群舞のフォーメーションを離れた個人的身体をもってどのように響きと交感していくのか、それがどのような動きとしてあらわれるのかということにも大きな関心が持たれます。形式と内容の相克ということ自体、モダンダンスの内部に深くわけいることになるのかもしれませんが、ここですべきことはまだたくさんあるように思われます






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