<< 2017/3/12(sun)MarimbaとAlto Saxophone  山田あずさ(マリンバ) 林栄一(アルトサックス) guest 相川瞳(パーカション)14:00 open 14:30 start - yamada azusa presents | main | 2017/3/13(mon)光子/アンプラグド vol.2 〜四谷で文学に浸る夜〜 >>
2017年3月10日(金)〜2017年3月12日(日)於 APOCシアター「戦争と一人の女」告知 と 企画並びに茶会記副店主上田と店主福地の対談 




上田晃之×福地史人 茶会記(Sakaiki)対談







「茶会記から生まれる新たな潮流」

上田晃之は、脚本・演出家の他にも多彩な顔を持っている。一つが俳人としての顔、そして喫茶茶会記・副店主としての顔だ。喫茶茶会記は四谷三丁目に居を構える「総合藝術茶房」。「お茶会の議事録」という意味を持つ「茶会記」にはイベントスペースが併設され、JAZZを源流としながらも舞踏・書道・ダンス・演劇・映画など多ジャンルのアーティストが集まり、それぞれに個性的な表現を繰り広げる、いわば文化サロンとして独特の磁場を形成してきた。『戦争と一人の女』は、そうした〈茶会記カルチャー〉をバックグラウンドに持ち、茶会記のイベントで繋がった面々によって編まれた作品だ。では、茶会記とはどんな〈カルチャー〉を生み出してきたのか。茶会記・店主の福地史人と上田晃之が、語った。
(編集・インタビュー:渋革まろん)

茶会記のコアには〈文学〉が?

上田 茶会記、今年で十周年なんですよね。
福地 2007年に開店なので、5月26日で丸十周年です。
上田 茶会記はどんな風にはじまったんですか?
福地 5月1日から家賃発生。

一同、笑

福地 開店までの間、ずっと準備でした。それまでの仕事は辞め、5月からはバイトモードに切り替えて、昼はバイト、夜は茶会記。最初はイベントスペースを借りる権利はなく、カフェルームだけ借りて、細々とはじめました。
渋革 茶会記をはじめる前は、どんなことをしていたんですか?
福地 普通にソフトウェア会社に務めていました。それと、JAZZ喫茶まわりをしていて、JAZZ喫茶の文脈で色々とネットワークがあった。あと演劇も新宿梁山泊とかアングラ系のものを見ていたり。それでもJAZZとかオーディオ系が自分の主流になるけど、それに拘っていくというスタンスを茶会記ではとっていなくて。例えば、上田くんは俳句や演劇を極めていく人です。でも僕はそこまで極められないから、逆に色んな分野を自分の自我とは別なところで、むしろ真逆な価値観を吸収したいというのがあって、いろいろな人と関わりを持っていきました。自分の「アウト」にあるものを受け入れていく。そういう場所を考えて、最終的な終着地点が、茶会記という店になった。僕自身に(特定のジャンルの)スキルはないけれど、礼節でつながっていけるような場所が茶会記です。世の中的には、二次元芸術―絵画のような―が藝大にしてもメインです。でも僕は個人的に、芸術=文学だと思っているんですね。
映画とかオペラはその発展系のようなイメージ。だからといって、僕は文学を専門としているわけじゃないし、主流はJAZZとか場末感のあるところなんだけど、色々な意味で広がればいいと思って茶会記をやってます。茶会記でも宮沢賢治や芥川龍之介や小川未明なんかの朗読のイベントもやっているんだけど、文学系のプロデュースを担当する人が少ない中で、上田くんは、パフォーマンス部門の副店主で文学系なので、自分が思っている芸術のイメージに近いことをやってくれています。
渋革 茶会記のコアには〈文学〉があるんですね。
福地 僕は文学が趣味なわけではないんです。評論的なところは多少、読んでいたりするのだけれど、文学そのものを読んでいるわけじゃないんですよ。恥ずかしながら。じゃあ、なぜ文学がコアになるのかなと思うと、読み聞かせとか図書館とか、本当に貧乏な人でも〈本質に近寄れる〉のが文学だから。吉本隆明が晩年、でかい虫眼鏡で万葉集を読むのが最後の生き方だって言っているように。絵画にしてもJAZZにしても、どうしても業界っぽくなってしまうから、四畳半で臨終のときにも触れられる、そういうコア的な意味で〈文学〉があるんです。
上田 茶会記に関わりがある人達のあいだでも、福地さん自体が「謎」というのは、思う人もいると思うんですよね。福地さんは懐が深いというか、茶会記がジャンルも価値観も真逆の人たちが出入りするし表現するスペースになっているのも、文学の話を聞いて納得しました。カフェスペースに小林秀雄全集を置いてることが、よくお客さんの話題にのぼりますけど、そういうことも全部つながっているんですね。
福地 小林秀雄は開店から置いてるんだけど、一番イラッとくる質問が「コレは全部読んだの?」です(笑)。はじめは心が折れそうな気分になったけど、いまは堂々と「全然読んでません」と言えます。小学生でもわかる小林秀雄の講演集のCDがあって、その講演集を聞いていれば小林秀雄の本質に迫れると思うんだけど・・・・・・要は評論をするとき、男性的に「いつ・誰が・どうした」の知識自慢で全ての芸術を把握しようとする風潮に対抗して小林秀雄は印象批評という女性的ともいえる感性的な部分で対抗した。理屈じゃないんだ、みたいな。でも当時のデータ主義に対抗するために、難しい言葉で圧倒的な知識量を持って抽象的な言い回しで煙に巻く。そうやって戦っていたわけ。それは僕の個人的な捉え方かもしれないし、普遍的な話でもないんだけど。でも、そういう理念のもとに十年間「小林秀雄全集」を置き続けて、店が潰れていないから、この理念にはある一定の力があるのかな。

誰でも気軽にロラン・バルト

上田 僕は茶会記で「ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』を上演するワークショップ」をやっているけれど、バルトの『恋愛のディスクール』は、当時の知識人たちが構造主義だとかの現代思想の中で、みんなが見向きもしなくなっていた「恋愛」という、ラカンの言葉で言う「想像界」的なものをあえて俎上にあげて問うことをしたんですよ。彼は恋愛に関するディスクールが孤立状態にあるという前提でもって、当時の知識人に対抗するように書いている。それは小林秀雄があえて印象批評といわれるようなジャンルで戦ったのと同じようなことだと思います。僕が『恋愛のディスクール・断章』をやりたいと思った背景にも同じ感覚があって、ある意味でメインストリームではないところを確信的に狙い撃ちする、というような。
渋革 知的エリートの「上から目線」への抵抗、という感じですか?
上田 それもあります。でもそれだけではなくて、むしろ、そっち側に豊かな世界があることを確信しているから、知識やデータの上辺でやっていても仕方ないじゃないか、というところがあると思う。
渋革 〈文学〉というと、小難しい高級芸術に祀り上げられているイメージがありますけど、茶会記のコアになる〈文学〉はニュアンスが違って、誰にでも、ある本質に近づける媒体としてあるんでしょうか?
福地 それは、良い質問で。1990年代にポストモダン思想が流行って、ロラン・バルトとかやっているわけですよ。でも、ペダンティック(衒学的)に知識で圧倒して「俺ってカッコイイぜ」みたいにするのは中身がない。当時の日本人はそれでいっぱいいっぱいだったわけだ。上田くんがバルトをやっているので、昔の人は「いまさら」って馬鹿にする人もいるんだけど、バルトがゴーストとして生きていたら、むしろ「上田くんカッコイイぜ」って言うと思う(笑)。ペダンティックな知的会話でバルトに食い込んでいるかというと、違うんじゃないか。そういうのを有難がって読んでいるのは普遍性がなかったりするんだよ。それよりもユングが「オーディティング」っていって自らを被験者にするような、ナメていない感じが上田くんにはある。「恋愛のディスクール・ワークショップ」は難しい話としてバルトをやっているわけじゃない。僕が出来ないことを上田くんは実践しているんですよ。
上田 僕の趣味が、福地さんが作っている茶会記の雰囲気に合ってるところがあるんですよね。福地さんに大目に見てもらっているなかで、茶会記でずっとやってる感覚があって・・・・・・ある意味でお客さんが少なくても活動を支援してくれる懐の広さ。それは僕に対してだけじゃなくて。僕も同じことを人に対して思う。単純に能力があったり知識があったりで、すごい人はいるけど、そうじゃなくても志向性がある人は一緒に何か出来たらいいなと思う。ワークショップをしているのもそういう意味合いがあります。アミニズム的な多様性が一番重要なものだと考えるところが茶会記の文化で、僕もその一員だなと思うところはあって。

茶会記の新しい風

渋革 そんな茶会記で、上田さんが副店主になったのはどういう経緯があったんですか?
福地 茶会記の本流はJAZZなんだけど、それだけだと全然駄目で様々なアーティストが活躍しています。初代副店主は関西大学ジャズ研出のジャズ系、二代目が近所に勤めていた調律師と木工作家の女子、三代目が外苑前で店をやっていた方、四代目が茶会記の即興系でイエス・キリストのような格好をした男(笑)。その男が、ものすごくいろいろな人を連れてきた。茶会記にも陣形があったけど、それをさらにパワーアップさせました。彼が店主だと思う人がいるくらい。彼は全てにおいてハイパワーで、全部やりたいことやりまくった。
渋革 福地さんはそれを「やりなよ」って見守っていたんですか?
福地 最大限のルールさえ守ってもらって、あと近隣に迷惑をかけずに、最低限の潰れない利益さえ出れば、あとはみんなハッピーであるのが一番良い。今でも、彼の系統が茶会記の中にいるんですよ。僕は彼のことをすごい尊敬している。さきほど「アウト」の話をしたじゃないですか。自分に似たような感じはつまらないから、一定の礼節レベルがあれば、とことんまでつきあってやろうという気があるから。でも、その彼が「世界旅行に行くから」って言って旅立ったので、後釜で紹介してもらった中での有力候補が上田くんだった。
渋革 上田さんは副店主になって、茶会記でどんなことをやっていったんですか?
上田 2014年から副店主をやらせてもらってるんですけど、最初は俳句のこととか映画のこととか、あとは自分の作品もやりたいというのがあって、「茶会記PLAY-ACT」を企画しました。副店主の立場って考えたときに、茶会記の風通しを良くするように、新しいことをやる役割があった方が良いと思って、もともと音楽関係の人たちは活躍されている人がたくさんいたから、僕としては映画・演劇・文学関係のことを入れていきたいと思って、「PLAY-ACT」はオムニバス上演の形で続けてきたというのがあります。幸い、最初に見てくれたり関わってくれた人とその後も関わりが続いていったので、今があるんですけど。
渋革 新しい風を連れてきながら、茶会記イズムのようなものが不思議と続いていますよね。
福地 そうなんですよ。上田くんの新作『戦争と一人の女』は「PLAY-ACT」の新展開で、茶会記に関わりのある仲間がやっているわけだから、それは感慨深いことだと思ってるんですよね。
渋革 『戦争と一人の女』は、茶会記の外でやりながらも、茶会記の方々が多く関わっています。
上田 出演者の金野さんも、最初は茶会記で会った人。祭さんも茶会記で会ったし、題字を書いて頂いた白石さんも古くからの茶会記の盟友という感じなんですかね。
福地 そうですね。白石雪妃さんは、まだ茶会記が体を成していないときからの付き合いで、WEBサイトにのっているロゴも白石さん。yamashinさんというチラシのデザインをしている人は僕と同じ年なんだけど、「パール・アレキサンダー」というコントラバスの即興の人が連れてきて仲良くしている人で。竹中さんは上田くんが茶会記で初めてやった演劇作品『carrier bag』に出ていたよね。音楽の大西さんは茶会記で「cafereggio」をやっていて。これは非常に有り難い話です。

小林秀雄に対する坂口安吾のように

福地 さっき言った小林秀雄も坂口安吾の仲間だったんですよ。坂口安吾は無頼派でワイルドなイメージがあるけど、坂口安吾に言わせると小林秀雄のほうがワイルドで、二人で酔っ払って小林秀雄が「じゃあ、ホーム降りなさい」って言ったら、ホームと別の地面の方に安吾が降ろされたとか(笑)。茶会記でも、坂口安吾『アンゴウ』の朗読や『桜の森の満開の下』をモチーフにした音楽をやっていたりするんですよ。やっぱり世代を超えつつ、一つのテーマとして、茶会記的な流れがあって。結果的な後付かもしれないけれど、それはそうなんだろうな、と。
上田 今回、僕は格好つけている部分もあるし、尖った部分、青臭い部分もあって、この日程で戦争ものとか、坂口安吾をやるぞとか。雰囲気的に生意気な感じがあるなと自分でも自覚はしていて。さっきのロラン・バルトの話でも、上の世代から見ると「なんでいまさら」があるし、なんで安吾をやってるのかという理由が、外からはあまり見えないと思うんですよね。そういうところは、僕自身で僕のプロデュース能力が足りないなと思ってるんですけど、僕にはいろいろな理由とバランスがあってここに至っていて、自分でも説明していかないといけないと思うんですよ。例えば、小林秀雄と坂口安吾の話をしてましたけど、彼らの有名な対談―お互いに酔っ払って話が噛み合っているんだかいないんだかわからないような―があって。安吾は小林秀雄に対して「教祖になっている」と言う。「お前は文学だけしてれば偉いのに、骨董だとか音楽だとか手を出して、何やってるんだ」って言って絡む(笑)。でも、どっかで二人はお互い本質的なところで意気投合していてじゃれあっている。
安吾の態度は、僕の中のつっぱり方みたいなもので、坂口安吾的な側に自分の立場を振ってみる。本流の逆をやりたいみたいな欲求があるんだなと自分では思ってます。
福地 1990年代にバルトを熱く論議していた人は、今の2010年代にやっているのを見ると、何をいまさらってなる。けど、日本人が熱く語っている事自体が、なんで君たちが・・・・・・ってバカにされてアタリマエの話で変わんないですよ。ぜんぜん、良いと思う。そこで新しいムーブメントが起きれば良い。個人的に『戦争と一人の女』は、総合芸術というか茶会記に関係している様々な人が集結して一つの目標に向かってる、それだけでハートムービングな出来事だよ(笑)。
上田 『戦争と一人の女』は集大成的なところと、今後への第一歩的なところが、両方あります。自分としては、ちょうどハマっていると思っているんです。タイミングにしても内容にしても、ちょうどハマっていると。これを機会に、ますますいろいろな人に関わってほしいし、関わっていきたいと思ってます。



----------------------------------------------------------------------


戦争はほんとに美しい。


もっと戦争をしゃぶってやればよかったな。


(坂口安吾『戦争と一人の女』より)


昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学を代表する作家のひとりである坂口安吾による短編小説『戦争と一人の女』を原作に、男性1人、女性4人のキャストを迎え、劇作家/演出家/役者として活動する上田晃之が、舞台作品として構成/演出します。


【公演概要】

■タイトル

「戦争と一人の女」 原作:坂口安吾

構成/演出:上田晃之

出演:金野泰史、長澤しずか、祭美和、森衣里、竹中めぐみ


■公演期間:2017年3月10日(金)〜2017年3月12日(日)

公演スケジュール (全6回公演)

3/10(金)[昼]:15時開演(プレビュー)/[夜]:20時開演

3/11(土)[昼]:14時開演 /[夜]:19時開演

3/12(日)[昼]:13時開演 /[夜]:17時開演

※開場は開演時間の30分前


■会場:APOCシアター

東京都世田谷区 桜丘5-47-4 (小田急線千歳船橋駅より徒歩2分)
http://apoc-theater.net/ 


■STAFF

舞台監督:大橋律子 
照明:株式会社MOON LIGHT 
音響:Bo-z Exp 
映像:アベユウナ 
音楽:大西穣 
舞台美術:今井祥子/木嶋美香 
衣装:金田かお里 
題字:白石雪妃 
宣伝デザイン:yamasin(g)
宣伝写真:kaesan 
制作:大橋律子/木嶋美香/丹沢美緒 
協力:喫茶茶会記/マリエ・エンタープライズ/(株)ビジョン・ファイブ/滝口敦子/樋口和歌子/原龍之介 他 


■料金:予約3500円、当日4000円、プレビュー3000円
 ※全公演全席自由

■チケット取扱:公演HPの予約フォーム、または下記のURLより。

https://www.quartet-online.net/ticket/onna2017?m=0egibja

■公演HP:https://awomanandwar.jimdo.com

■SNS

https://www.facebook.com/A.Woman.and.War/ (Facebook)

https://mobile.twitter.com/A_Woman_and_War (Twitter)

■主催:上田晃之 

■問い合わせ先:hitorinoonna2017@gmail.com
コメント
コメントする