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深夜の街で拾った男──川村美紀子『12星座にささぐ』第5回「おうし座」 北里義之

 今回の公演で5人目となる月の星座の人のとりあげられかたを見ていると、そこには他のダンサーたちに声をかけてクリエーションする規模の大きい作品にも一脈通じるような、川村なりのルールの存在が感じられる。思いつくまま箇条書きにしてみると。(1)現実の生活で川村となんらかの関係をもつ人、(2)無名のままに暮らす市井の人、(3)ある運命/宿命のもとにあることを感じさせる人、あるいは(4)話の内容に川村が運命/宿命を読むことができる人、(5)前公演が終わってから一ヶ月の間に決定される人選が偶然性をともなったものであること。などである。これらの条件から作品はドキュメンタリー性の高いものになる。語られることがけっしてダンサーの創作ではないこと、その人らしさをあらわすために声の録音が最適であることなどから、インタヴューのための会食がおこなわれ、公演のなかで取材音源がそのまま流されたりもするが、この2回ほどは、録音の使用許可が下りないなどの事情から、ダンサー自身が一人二役の演技をしながら踊る形になっている。


 戦争体験をもつ高齢の男性から聞き書きをおこなった第4回の「おひつじ座」では、前半にピアノ伴奏をともなう一人二役の演技をおこない、後半はその録音を流しながら踊るという分割がおこなわれ、<言葉/声>と<身体/ダンス>の間に応答関係を作っていくスタイルがとられた。今回もまた、本公演の2日前というギリギリのタイミングで、女王様のバイトをしている池袋のSMクラブから、深夜、自転車で帰宅途中に男性から声をかけられるという偶然から作品が作られている。出会ったのは社会学を専攻する20歳の男子早大生。一人二役でそのときの対話を進めていく声と踊る身体は、前回のように二分されることなく、一晩をいっしょに過ごす若い男女というスリリングな場面設定を、つかず離れずに踊っていくという形がとられた。



 いくつかのパターンはあるにしても、観客席の配置も公演ごとに変えられていて、今回は、楽屋の扉を中心に座布団を半円形にならべる形がとられた。二列になった観客席の後方は椅子席。公演の後半で、自宅の玄関扉に見立てるという大道具の役割を果たすことになる楽屋の扉から、向かって左側にオペレーターの米澤一平がつく音響/照明のテーブルが置かれ、右側には赤茶の布がかかったチェスト・テーブル、チェストのうえには暖色系の電気スタンドが置かれ、下手サイドの観客席に向かって夜を想わせる光を放っていた。米澤の操作で光量を増減させるこの照明を中心に展開する「おうし座」の物語は、数日前の出来事を現場レポートするように語るダンサーが、左右に一歩動くことで役柄を交代しつつ、タメ口で展開する対話を即興的に演じていく心理劇だった。ふたりの心の動きがつづられていくという点で、幅広い川村の表現スタイルのなかでも、特に文学が前面化した私小説的な作品といっていいだろう。出来事そのものは、すでに自分のブログで公表ずみ(「ボーイズビーアンビシャス」2018年5月21日)のものだ。しかし公演は、たんに筋を追うというのではなく、深夜の都会の怪しいムードを増幅させたような濃密さをかもし出していた。


 缶ビール2本を抱えたダンサーが、ふらっと楽屋口から登場するところから公演はスタートした。初回には濃厚なチーズが観客にふるまわれ、前回は赤ワインをちびりちびりなめるという設定で、これらはいずれも公演が日常性と地つづきであることを強調する演出になっている。缶ビールの一本をオペレーターに渡すと、働きはじめてから3ヶ月間不動の2位をキープしているという池袋のSMバーで見聞きした都市伝説ふうの怪談から話がはじまった。コロコロと人が変わっていく4重人格の女の子、その子が目撃したという足のない女の話、駐禁で撤去された自転車を引き取りにいって目撃した激怒するおじさん(怒鳴りあう巡査とのやりとりが録音で流された)、そしてきわめつきは殺されてベッドの下に押しこめられていた女の子が発見されずにその後もホテルに客が入っていたという事故物件の話。「怖っわっ!」というノリツッコミ。事故物件の話は、後半で見知らぬ女の家に泊るはめになった20歳の早大生の不安な心理状態を描写するところにも登場、いずれも少し調子の狂った都会の夜のムードを彩るものとなった。場面の合間にヒップホップの音楽が短く流れるのだが、ここでもダンサーは話を先に進めながら、がっつりと踊るというのではない、身体のリセットや場面転換になるような踊り/動きをした。そこだけダンスらしいダンス、ダンスの抽象性に走らないよう注意しながら、ときには説明的なパントマイムの動きも入れ、日常性の地表を離れることなく床面を滑っていくというような。半分ダンス、半分身ぶり的な動きの展開。ここでは、というより川村の最近作では、身体能力を極限まで酷使する初期作品とはまったく別のダンスが選択されている。




 若い大学生と知りあった経緯を語っていくダンサー。酔いつぶれた彼が起きたら、持ちものがすべてなくなっていて、友だちに連絡することもできず、しかたなく携帯電話を借りようと道ゆく人を呼びとめていたところ、SMクラブ帰りの川村が自転車をとめた。かけた電話に友だちが出ないので、絶望的になっている大学生を深夜営業の磯丸水産に誘って食事。「とりあえず黒ホッピーください」「それからお冷や」と声をかけたあと、尻のポケットからレシートらしき紙片を取り出し、注文を読みあげていく。蟹味噌、カマ焼き、酒蒸し、あら汁、そんなとこですかね、おねがいします。大学生と話すなかで、彼がおうし座であること、早稲田大学の社会学部2年生であることを知る。「自分こういうことをやりたいのかな」と自問する大学生。アルバイトでしている家庭教師の話題。注文したメニューの細目は、食事代が5,284円かかったことや、翌朝、大学生に電車賃500円をあげることにも通じていて、これらは公演を実話と感じさせるリアリティの細部であり、川村美紀子の文学センスを感じさせる部分である。結局、食事中にかかった電話で、所持品は全部友だちが持ち帰ってくれたことがわかり問題が解決する。食事がすむと深夜の3時、行くあてのない大学生を自宅にとまらせ、落ち着かない一晩を過ごす経緯を心理小説じたてで演じていく後半がスタートする。こちらは冒頭であげた人選ルールの「(3)ある運命/宿命のもとにあることを感じさせる人」と直結する。運命の訪れをひたすら待つM衝動の川村と、みずから運命を切り開いていこうとするS衝動の川村が葛藤しながら、朝まで悶々とした状態で仮眠する床上のダンスは、演劇ではありえない(というか前代未聞の)スタイルのパフォーマンスだった。

 結局のところ、ふたりの間に運命的と呼べるような出来事はなにひとつ起こらず、翌日の昼ごろに起き出した大学生は、「自由。え、自由? どっちかっていうと不自由ですかね」という乾いた言葉を残して彼自身の日常に戻っていく。待っても待ってもやってこないゴドーをなおも待つつづける辛抱をつづけながら、希薄な日常性を坦々と描写していった公演。その一方で、語りのなかには、運命的なものを欠落させた日常を外側からまなざす視点も用意されていた。そこにはふたつのことがあらわれている。ひとつは、「中途半端な人がごちゃごちゃ船に乗っても、どうにもならない」「もういいかげんさ、黒板教育とか、なくしたほうがいいと思うんですよね」「ああいう、すりこまれた幸せを具現化しようという奴って、あぶないよ」などのセリフに体現される、無難に演じられる社会人というエージェントについてのもの。もうひとつは、大学生に「で、お姉さん、なにやってるんですか?」と聞かれ、「わたし、なにやってんだろーねッ!」と絶叫する場面に集約される川村自身の実存に関わる問題。前者と後者は密接に関連している。そこで不器用なほどストレートに語られているのは、ダンス業界も含んだ社会システムを相手どり、そこに半分は乗りつつ、半分は確実にはずしながら、ダンスだけに限られない、歌ったり書いたりという生身の身体を通してやってくるものから、他者の欲望のありかや社会の底に蠢くものを知ろうとする川村美紀子の生き方である。いま見せられている現実がまさかこれだけのものじゃないだろうという疑いが、彼女のダンスやクリエーションの基底に横たわっている。


(観劇日:2018年5月22日)



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