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戦争の顔と出会う──川村美紀子『12星座にささぐ』第4回「おひつじ座」北里義之



 過去2回の公演では、その月に生まれた知り合いの男女に白羽の矢を立て、インタヴュー形式で収録した録音を流しながら踊るスタイルが取られてきた。今回もまた、昨年、映画の仕事で自動車の免許を取らなくてはいけなくなったとき、自動車を貸してくれた高齢の男性に白羽の矢を立てた生活密着型のダンスとなった。大きく違ったのは、今回は、録音した音源の使用許可が得られなかったことから、聞き書きのスタイルで書き起こした会話を台本に仕立て、即席でピアノ伴奏しながら、対話形式の一人芝居を演じたことである。公演の前半におこなわれた一人芝居はライヴで録音され、公演の後半に、いまとったばかりの録音を流しながらダンスするというのが全体の流れ。これまでにも触れてきた作品だが、実際に書かれた手紙の再構成という、ここでの「聞き書き」にあたる方法を通して祖母の世代の感情生活を扱いながら、それにダンスで応答していった作品に『或る女』(2017年10月、日暮里d-倉庫)がある。これらの作品からうかがえるのは、川村の関心のなかに、実生活に密着するクリエーションを通して、庶民感情の生活史とでもいうべきものを浮き彫りにしていくフィールドワークの側面があるということだ。おそらくそれは、彼女のダンスをコンテンポラリーにしているもの、すなわち、自己表現としてのダンスを踏み越えていく独自の方法のひとつになっていると思われる。



 ピアノ演奏のためのコードなどがいっさい記されていない譜面台の会話シートには、おひつじ座の男の話が抜き書きされた合間に、合いの手を入れるように短い質問をする川村のセリフも書きこまれており、一人芝居を演じるダンサーは、自分のセリフを言うときは、譜面台から顔をあげて背後をふりかえり、遠くにボールを投げるように発声した。はるか遠くにいるらしき男、背後を振り返る川村の身ぶり、これらは遠い過去から思いがけなくやってきた記憶という象徴的な意味を生んでいた。どこで身につけたものか、ピアノ演奏も一人芝居の演技も、それなりの技術でパフォーマンスされていくのが驚きだった。おひつじ座の男の話。若いころ、農業がさかんだった故郷で農業技士になろうと勉強したが、戦時中のその時期、最初は「勝ちいくさ」だった雲行きがだんだん怪しくなってくると国民総動員がかけられ、成績優秀だった自分もまた、短期間で通信兵の教育を受けさせられることになり、15歳で南方に従軍することになった。事実だけを坦々と述べていく男の話の最後に、川村がダンス公演でアジアに行ったときに経験したことを話す。「私も南にいってね、むかし日本人が島にいって、なにか、なにか、なにか、なにか…」言い淀む川村の言葉を男が引き取る。「……あったでしょ」そこでピアノ演奏が途切れると、「もしかしたら友だちだったかもしれないなあ」という最後の言葉が語られる。はるかに年齢が離れているはずのふたりの時間がスパークして歴史が円環する瞬間である。戦争からずいぶんの時間がたったいまでも記憶が伝承されているということ。弾き語りが終わり、録音再生の準備をした川村はピアノまで戻り、楽器のうえに載せた白ワインのグラスを手にとって喉を潤した。



 市井に生きるごく普通の人々の人生。戦争体験を語るおひつじ座の男の登場で、これまで関係性の軸をなしていた男女関係は背景に退き、聞き書きという新たな要素を加えて、私小説的なリアリズムを追究する身辺雑記的テーマの周辺に、広大な庶民史の領野が広がっていることを浮き彫りにした。そういえば、トヨタをダブル受賞することになった出世作『インナーマミー』(2014年)でも、振付にダイレクトな反映はなかったものの、パーソナルな家族関係に触れると同時に、メンバーとの会話を通して、家族史へと踏み出していく出入口が開かれていたことを思い出す。ここには在野の文化人類学者・川村美紀子が潜んでいるだろう。「おひつじ座」の公演は、乗り越えがたい世代の相違を前にした川村が、他者の身体に触れること(あるいは「憑依」すること)と、ダンスによる彼女なりの応答が両方示される『或る女』とおなじ構造をもっている。ホリゾントの縦格子を使って動いたり、左足を右足の甲に乗せたり、パントマイム的な動きを見せたり、背中向きになって身体のあちらこちらに手をあてたり、観客席最前列にならぶ空席のうえに立ったり、床のうえを横転して大きく動いたり、とりわけピアノで出されたモールス信号ふうの即物的リズムにシンクロさせて頭を左右に振るなど、ダンスの動きは多彩だったが、戦争体験に対して若い世代の主張を返すにはいささか相手が大きすぎたということなのだろう、今回の公演では、過去からやってきた声に身体的感応を示すにとどまったと思う。(観劇日:2018年4月18日)


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