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「北方領土について」喫茶茶会記店主筆
20190124

昨今漁業権云々で二島返還が国益的に適っているという論考がひろまっている
それはそれで戦略的であり深く真剣に取り組んでいる人がいるのだけども
わたしは昔から四島返還ということで教育されていてそれが血肉の中に入っている。


私的には何千年たとうが四島返還を目指さないといけないと思っている。

法律の変遷はどうであれ日本人が昔から住んでいたということは事実なのだから。
仮に、漁業権を放棄してでも固有の領土は固有の領土なのだ。

「一貫性」という愚直な精神が後に人の心に響くと思料している。




南下するが、わたしの実家がある道南についてかつて引用した内容

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函館のことを伝えたい


『青函連絡船からの贈り物』    〜辻仁成 「函館物語」より


●青函連絡船の最後の航海はいつでしたか

 最後の最後は、昭和六十三年の秋でした。
 それは、数ヶ月の暫定運航という形で、
 そのときはもう乗組員が足りなくて、
 退職したOBを集めて運航していた。
 正式に終わったのはその年の三月十三日なんですね。
 そのときに、僕はすでに違う仕事に
 ついていたんだけども、先輩から、
 おまえちょっと制服に着替えてこいという
 電話がかかってきた。最後なんだから
 仕事をせいと、言ってくれたわけなんですね。

●制服は持って帰ってよかったわけですか

 それはね、ほんとはだめなんだけども、
 一着だけ持って帰っていた。
 その船は、たまたま羊蹄丸だったんです。
 僕が最初に乗った船だった。

●満員だったんでしょうね。

 連絡船に乗る若い人たちも多かったんです。
 青函連絡船がなくなるというので、
 全国から集まってね。
 最初は人の多さにただただ驚くばっかり
 だったんですけれども、
 航海が終わる時間にだんだん近づいてくる
 に従って、乗組員の顔の表情も
 変わっていった。途中で、海峡のどの辺かな、
 ほかの連絡船とすれ違ったんですけど・・・。

 普通、上りと下りで、コースが、どこから
 何度で、どういう角度で入ってきてと
 決まっているんですよ。
 そのときばかりは、接近できるだけ
 接近して、お互いデッキで大きな旗を振り合って・・・・。

●長い汽笛を鳴らすんでしょう。

 そう。汽笛を鳴らすときは、船舶法上
 決まりがあるんだけど、
 もう全然そんなのは無視しちゃってね。(笑)

 涙がぽろぽろ出てきて、もうぐちょぐちょでね。
 乗組員の部屋と各勤務箇所についている
 乗組員だけに聞こえるスピーカーが
 あるんだけれども、そのスピーカーを通して、
 船長が

 今日までこうしてやってこれたのは、
 おまえらがいたからだ、とね。

 それを聞いた途端、涙が出てきて、
 最後は何を言っているか全然わからなかった。

●いい話だ。

 船をつけるときに、ああこれで
 何か終わったなあと思った。
 僕を呼んでくれた航海士が
 「今日はほんとによく来てくれた」
 って言って・・・。
 (涙ぐむ)
 ごめんね。

●いえ、いいんです。そりゃそうですよ。
 心にしみてくるものがあります。

 今、仕事が変わっても、その当時のことが
 あるから頑張っていけるのかなって思って・・。

●青函連絡船という命を賭けた仕事、
 そういうドラマのあるものの一番最後を
 締めくくることができたというのは、
 いいことだと思います。
 何でもそうだけども、最後の舞台を
 締めくくるところに立ち会える人間
 というのは幸せだと思いますよ。

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