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北里義之・2015/10/6 木村 由:ひかげぼっこ[4回目]



10月6日(火)、喫茶茶会記でおこなわれている木村由さんの隔月ダンス公演『ひかげぼっこ』の4回目がありました。明大前キッド5Fをシリーズ公演の会場にしている「ひっそりかん」が、自然光のなかの身体を扱う一方、この「ひかげぼっこ」は暗闇のなかの身体を扱っています。闇は光の一部であり、光は闇の一部であり、ふたつのシリーズは真逆の方向に通いあっています。「ひかげぼっこ」でもうっすらとした照明が用意されますが、踊りはほとんどがその光の外で踊られます。この晩は、縦格子になった壁を上手側から斜めに走る光が、あたりに乱反射して作る光のエコーとでもいえるような領域を、床のうえの塊のようになって光ににじり寄り、光のなかに入り、光からこぼれ落ち、ふたたび出ていくというダンスが踊られました。この過程は、反対側から見れば、暗闇の濃度の違いのなかで踊るということでもあり、その最大の効果は、視覚が闇にとらわれて、身ぶりの形が明瞭さを失うところにあるようです。あるいは形を失わせて触覚をざわつかせること。うつぶせになりながら動くダンサーが床を引っ掻く音などが、ダイレクトに触覚を刺激して原初的な感覚を蘇らせます。光のなかでは、手や足の動きにダンスの痕跡があらわれるのですが、観客は自分がすでにそれを暗闇の世界から見ていることに気づきます。


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北里義之・2015/8/9 吉本裕美子 meets 木村 由「真砂の触角 其之八」


数日前におこなわれた木村由ソロ公演「ひかげぼっこ」(8月4日)から間を置かず、彼女がギターの吉本裕美子さんと共演する「真砂の触角 其之八」がおこなわれました。

2011年に即興演奏に目覚めてから、いろいろなタイプの演奏家と組んで即興ダンスしている木村由さんのセッションのなかで、半年ごとのシリーズ公演「真砂の触角」は、最初期から持続しているデュオ。衣裳、照明、家具の配置など、木村さんがもっとも演出に凝るタイプの公演で、過去に何度となく名場面を生み出してきました。

今回は、それらの名場面を引用するような形で、一種の語法化された即興ダンスがおこなわれたと思います。イディオマチックな即興は音楽で常套的なものですが、木村さんの場合は、過去におこなわれた固有の場面が「語」の役割を果たしています。頭にかぶったチュチュ地の布、机のうえに立ちあがって観客や共演者を見下ろす大女の踊り、椅子のうえからダラリと床に垂れさがる屍体、靴を脱いで放り投げる動作、演奏家の周囲を回りながらの踊りなど、木村さんの即興ダンスではお馴染みの要素や場面が、切れ目を持たない吉本さんのギターサウンドを地にして展開していくという感じ。

ときどきの突発事故もあり、今回は、ステージ奥の壁になっている縦格子の一枚が倒れてくるというハプニングが発生しました。



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北里義之・2015/8/4 木村 由:ひかげぼっこ[3回目]


8月4日(火)木村由さんの隔月ダンス公演『ひかげぼっこ』の3回目がありました。長襦袢に赤い帯、長い髪をほどいて、黒いスリッパのような履物をはいた木村さんが、上手から下手へ、夕陽があたるように斜めに壁から床へと走るライトの内外を出入りして、暗闇や床や壁を感じながら、質感を重視した、ゆっくりとした動きをつなげていく独創的なダンス。鳴っているのは風鈴ではなく、カタカタという空調の機械音でしたが、そこには、じっとりと汗をかかせる蒸し暑い日本の夏と夕涼みの風情が漂っていました。さまざまな切り口からご自身の身体にダイヴしていく木村さんですが、何年も拝見していると、地下を掘り進む蟻の巣穴がふと連結するように、このダンスを掘り進んでいくとここに出るのか、という場面に出会って驚くこともよくあります。今回の『ひかげぼっこ』は、最後の場面で初めて椅子を使ったせいでしょうか、2012年のちゃぶ台ダンス『夏至』を鮮明に思い出させるものでした。あのときもやはり、夕陽を連想させる赤のイメージが空間を支配していて、ダンサーには、亭主や息子に死なれて途方にくれる戦争未亡人の風情があり、そこから敗戦記念日やヒロシマの記憶を喚起させられたのでした。今年もやってくる敗戦記念日を目前にして、ちゃぶ台なしで喚起されるちゃぶ台の記憶。
北里義之 6/27 羽太結子ソロダンス@bozzo写真展:四谷の湿った放屁2


6月21日(日)から27日(土)にかけ、喫茶茶会記の喫茶ルームで開催されたbozzo写真展『四谷の湿った放屁2』の最終日に、写真で巫女役をされたダンサー羽太結子さんのクロージングACTがおこなわれました。巨大スピーカーから流れてくる「四谷の湿った場所」で生録された環境音は、水の音と生活音が混然となった基層の響き。開け放たれた楽屋の扉の奥には薄暗い電灯がともります。環境音に重なって、男の声がいくつか身ぶりの指示を告げると、襦袢のように見える赤い衣装のうえに、白いあぶく模様のはいった茶色のワンピースを重ね着した羽太さんが登場。会場の中央に集められた光の際にそって立ち、ゆっくりとした動きで、声の呼びかけにこたえるダンスをスタートされました。太い光の柱を抱くように両手を広げる冒頭、斜めになった身体が天井を仰ぎ見る感じ(水音と感応して、身体がある情景をたずさえた秀逸な場面でした)、20回以上も連続して床に倒れこんでのたうちまわる転調のアクト、楽屋の薄暗さのなかに溶けこみ浮きあがる “異界” との往還、両手を膝の裏でクロスする不安定な姿勢を起点とする羽太さんならではのダンス、そして冒頭の指示を再現する動きから楽屋に入り扉を締める終幕と、感応的なダンスは写真展の最終日にふさわしいものでした。



写真提供:bozzo

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北里義之・2015/6/21 木野彩子:一期一会 vol.2 with 川口隆夫


6月21日(日)木野彩子さんの隔月ダンス企画「一期一会」の第二回に参加しました。「他者の身体を生きてみること」をテーマに、インドから帰国直後の川口隆夫さんをゲストに迎え、生前に実際の公演を観ることができなかったという大野一雄さんの1970年代の踊りを、記録映像を駆使して完全コピーした『大野一雄について』成立の経緯や、実際にどのようにしてコピーがおこなわれるかという実演、公演の反復が当初の驚きや即興性をなくしていくことの困難さについて、さらには大野一雄さんや土方巽さんがダンスで描いた女性像についての挑発的な問題提起など、2時間におよぶトークは盛沢山の内容でした。川口さんがされている、伝統の継承でもパロディでもない、動きをただ即物的に完全コピーしていくという行為の(ダンス的な)意味づけのむずかしさを再認識させられました。第二部はおふたりの即興セッション。大野一雄さんの身体やダンスの特徴、動きの構成の仕方などに木野さんがチャレンジしてみるところから、木野さんのリードで川口さんが踊る場面となり、最後はコンタクト・インプロヴィゼーションへ、作品的な要素の加味へと発展していきました。あらためて考えると、木野さんのコンタクトは初めて拝見したかも。



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北里義之・2015/6/14 木野彩子+池田千夏@sound & herb vol.12


喫茶茶会記で開催されている、池田千夏さんのピアノとジプシーカフェ葉花さんのハーブを楽しむ会「sound & herb vol.12」に、ダンスの木野彩子さんがゲスト出演され、第一部は白い衣装で「春夏秋冬」を、第二部は黒い衣装で「日の出〜日の入り」をと、ふたつのテーマで踊られました。タイトルは『CADENDIA 自然的リズム』。その場の状況にあわせ、洗練された身体語彙を選び出し、即興的なパラフレーズによってひとつの文脈を生み出しながら、あたかも論文構成するように展開されていく木野さんのダンスは、動きのエクリチュールを持っていることにおいて特筆すべきものと思います。高速回転する身体の明快さに彩られたダンスには、彼女独自の文体があります。それと触覚の先鋭化にともなうエロティシズムの解放。後者については、今回のようななごやかなサロンの雰囲気のなかでも、床のうえで就寝する姿勢をとりながら、指だけがそこいらを歩きまわり、自分自身の身体にもよじのぼるという第二部の最後にあらわれた指のダンス(夢のなかの小人でしょうか?)などに、象徴的にあらわれていたと思います。今月の21日には、ご自身で主催されている喫茶茶会記の「一期一会」で、『大野一雄について』の川口隆夫さんと共演されることになっています。こちらも楽しみです。


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北里義之・2015/6/2 木村 由:ひかげぼっこ vol.2


6月2日(火)、偶数月におこなわれる木村由さんのソロダンス公演「ひかげぼっこ」の第2回。下手側に木製の椅子、その脚もとに大きく湾曲した枯木の枝。すぐわきの床置きライトに照らされて、背後の縦格子の壁のうえを上手側に流れるゆがんだ影。その影の先を闇が包んでいるというニュアンス。見るもののイメージの世界で、森のはずれの風景が広がります。ダンサーは下手側を使うことなく、上手側の闇の領域に居ながら、基本的に床のうえを這いまわり、転げまわる感じ。後半になり、ステージ中央で立ちあがっても、なにがしかのダンスを展開するのではなく、外側からは意味のよくつかめない曖昧な動きを重ねていきます。さかんに動きまわった「ひかげぼっこ」初回公演と正反対の方向から場にアプローチした身体の測量作業、あるいは、いろいろの見えないものを見せること。暗闇のなかでこんなに動かない木村さんを見るのは、とても珍しいことと思います。暗闇がダンサーの身体に大きく作用して、自身の内面を凝視する作業と場の測量作業が反転をくり返して、「ひかげぼっこ」の可能性のひとつを生み出していました。ひとつの環境に別の方向からくりかえし身体をさらし、そこで起こってくる出来事を受けとめる作業が「ひかげぼっこ」での即興になっています。


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北里義之・2015/5/16 喜多尾 浩代:そこふく風 特別編♯2


5月16日(土)楽屋の窓と玄関の扉を開け放して風を通し、たくさんの小さな記憶を閉じこめた喫茶茶会記を朝の時間のなかに開く、「身体事」の喜多尾 浩代さんによる『そこふく風 特別編♯2』がありました。涼しい風が通ったり、朝の光が降り注いだり、近くで仕事をする人の声がしたり、行燈のような暗さの照明のなかを動いたり、小雨が降りはじめたりという環境を、ていねいに、繊細に感覚していく身体を介して、その場に居あわせた人の感覚が同時に開かれていくという参加型パフォーマンス。観客が観客のままでいられなくなり、環境のなかに溶けこんでしまう体験が、気持ちよさとして(あるいは、たしかな感覚として)身体に残ります。前回[2014年7月19日]も参加させていただいたのですが、季節の違いはもちろん、写真撮影をされた平尾菜美さんとの共演ではなかったこと、参加者が5人から11人に増えたこと、そしてなによりも二回目であることなどが、みなさんの自由の感じ方に影響を与えていたように思います。楽屋の奥から出発して暗い大部屋へ、さらに喫茶室を抜けて外へ出ると、小雨が降る路地を表通りまでという動線は同じでしたが、これはあらかじめ予定していたということではなく、環境に身体を開きながら動いていったときの結果という、ある意味での必然だったようです。

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北里義之・2015/4/7 木村 由:ひかげぼっこ vol.1



4月7日(火)喫茶茶会記にて、木村由さんの無音独舞シリーズ──闇間に揺れる蠢く「ひかげぼっこ」がスタートしました。スポットの下での無音ソロダンスは、踊りの部分だけ取り出せば、2年前に喫茶茶会記でおこなわれた森重靖宗さんとの初回デュオ(2013年6月28日)を思い起こさせます。そのときはピンクの薔薇の花束、光のなかに置かれた一輪の薔薇、チェロの弦楽サウンド、床に浮き出る光と闇の境界領域など、いろいろな要素があったのですが、今回はそうしたものを排除していった先でなにができるかという点で、自然光のなかでおこなわれる明大前キッドの無音独舞「ひっそりかん」を反転させた発想といえるのではないかと思います。もちろん、闇は光の一部であり、光は闇の一部であるわけで、闇のなかに鮮烈な光を見、光のなかに潜む闇を感じられなくてはならないでしょうが、現実の場面では、視線を盲目状態に置かないための人工の光が入れられ、身体も環境に別様に応答することから、おのずから別の回路が開いていくということようです。初回となる今回は、衣裳の選択ともども、木村さんが経堂のギャラリー「街路樹」でされているちゃぶ台ダンスめいたところ、中野PlanBで公演していたころの古い記憶(スタッフの発言)、最近よく拝見する左右に身体を傾けながらのダイナミックな動きなど、さまざまな要素を試して本公演の独自性を “身体測量” されている感がありました。

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北里義之・12/8 「おちょこ+新井陽子+木村 由:即興セッションやります!」@喫茶茶会記




12月8日(月)喫茶茶会記にて、ピアノの新井陽子さん、ヴォイスのおちょこさん、ダンスの木村由さんの3人が、トリオとしては初の即興セッションにのぞまれました。「女性の即興」という言い方には、ジェンダー的な配慮が必要と思うのですが、ここまでの経験としていうなら、やはりそこに男性プレイヤーが入った場合とは異なる(あるいは、男性である私にはタブーに感じられる領域にまで踏みこんでいく)、特別ななにかが現われているように思います。音楽とダンスというジャンルの垣根を越えて、パフォーマンスの身体性が前面に突出してくること、言葉と身体の蝶番という、サウンド的にも特別な位置にあるヴォイスのおちょこさんが参加していること、そして新井さんとのデュオにおいて、これまで木村さんがひときわ高い位置からジャンプするような冒険的ダンスを試みてきたことなどから、本公演は、「無礼講」と呼びたくなるような、徹底した逸脱が試されるセッションになったと思います。高度な技術の支えがあってのアクションであることはもちろんですが、こうした生命が沸き立つような場所では、すべての音や動きが、書き割りを持たないダイレクトなもの、具体的なものとしてたちあらわれてきます。


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